参考文献とアジア

口承文芸は無文字時代から存在し、一般に、昔話・伝説・世間話などの民話、新語作成、新文句(新句法)、諺、謎、唱え言、童言葉、民謡、語り物などに分類される。このうち、昔話には、発端句(「むかし」を含むものが多い)と結句(「どっとはらい」など)に代表される決まり文句がある。また、固有名詞を示さず、描写も最小限度にとどめ、話の信憑性に関する責任を回避した形で語られる。時代や場所をはっきり示さず、登場人物の名前も「爺」「婆」や、出生・身体の特徴をもとにした普通名詞的である。「桃太郎」は、「桃から生まれた長男」の意味しか持たない。"伝説は、同じ昔の話であっても、一定の土地の地名や年代など、その所在や時代背景が的確に示され、登場人物も歴史上の有名な人物やその土地の何と言う人物など、好んで詳細に示そうとし、定義において昔話との大きな相違点とされる。 これらの事から、伝説には伝記風の態度と要素があるが、昔話はフィクション(創作)として語られている。しかし一部の土地では「炭焼き長者」や「子育て幽霊」などといった昔話が伝説化し、定着している例も挙げられる。"

紀元前3世紀末、クィントゥス・ファビウス・ピクトルが初めてギリシア語で詳細なローマの起源に関する物語『年代記』を書いた。彼以降、ローマの創建者はロムルスとされる。アウグストゥスの時代になると、ウェルギリウスやオウィディウスらにより、ローマ神話は文学にまで昇華した。ローマ神話の神名は、近代西洋諸語の天体名・曜日名・月名などに広くとりいれられている。

"? 古代アステカ文書 Chimalpopoca 写本、大修道院長 Charles Etienne Brasseur de Bourbourg 訳"インカ神話では、ビラコチャは大洪水で巨人を倒し、2つの民族が地球に殖民された。ユニークな点は、彼らが密閉された洞窟で生き延びたことである。"マヤの神話では、『ポポル・ヴフ』の第1部第3章によると、風と嵐の神フラカン(「一本足」の意)が樹脂の大洪水を起こしたのは、木から生まれた最初の人類が、神々を崇拝しなくなって怒らせたからであった。 彼はおそらく洪水の水より上の霧の風に住み、地面が再び海から現れるまで「地球」を示した。"

無論、それは地域ごとで食い違いや差異があり、伝承の系譜ごとで様々なものが未だ渾然として混ざり合っていた状態であるが、しかし、オリュンポスを支配する神々が誰であるのか、代表的な神々の相互関係はどのようなものであるのか、また世界や人間の始源に関し、どのような物語が語られていたのか、それらは、ヘレネスにおいてほぼ共通した了解のある、或るシステムとなって確立したのである。しかし、個々の神や英雄は具体的にどのようなことを為し、古代ヘレネスの国々にどのような事件が起こり、それはどういう神々や人々・英雄と関連して、どのように展開し、どのような結果となったのか。これらの詳細や細部の説明・描写などは、後世の詩人や物語作者などの想像力が、その詳細を明らかにし、ギリシア神話の壮麗な物語の殿堂を飾ると共に、陰翳に満ちた複雑で精妙な形姿を構成したのだと言える[10]。ギリシア悲劇の作者たちが、ギリシア神話に奥行きを与えると共に、人間的な深みをもたらし、神話をより体系的に、かつ強固な輪郭を持つ世界として築き上げて行った。ヘレニズム期においては、アレクサンドレイア図書館の司書で詩人でもあったカルリマコス[11]が膨大な記録を編集して神話を敷衍し、また同じく同図書館の司書であったロードスのアポローニオスなどが新しい構想で神話物語を描いた。ローマ帝政期に入って後も、ギリシア神話に対する創造的創作は継続して行き、紀元1世紀の詩人オウィディウス・ナーソの『変身物語』が新しい物語を生み出しあるいは再構成し、パウサーニアースの歴史的地理的記録やアプレイウスの作品などがギリシア神話に更に詳細を加えていった。

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