ハワイとアメリカ
『古エッダ』の『巫女の予言』は、北欧神話における、今存在する世界の創造の記述で始まる。最初は、北のニヴルヘイムの氷とムスペルヘイムの炎を除いて、何もなかった。それらの間に、大きく開いた淵があった(ギンヌンガガプ。しかしこの名称は時々、固有名詞として翻訳されないことがある)。この淵の中で氷のいくつかが炎からのいくつかの火の粉とぶつかった。氷は溶けて毒気(en:Eitr)となった。さらにそれは雌雄同体の巨人ユミルと、彼を乳で養うことになる雌牛アウズンブラの体を作り出した。アウズンブラは霜氷を舐めることで食餌した。次第に牛は氷の中に人間の頭髪を露わにしていった。翌日、牛は彼の顔を露わにした。さらに翌日、牛は彼、ブーリの姿を完全に露わにしていた。"ユミルは、男女2人の人間であるごとく、スルードゲルミルの父になった。ブーリは、ボルの父となった。ボルは3人の息子、ヴィリ、ヴェー、そしてオーディンを得た。彼らが巨人ユミルを殺した。ユミルの血が引き起こした大洪水により、両種族の最初の男女は死んでしまった。ベルゲルミルの父となったスルードゲルミルも溺死した。 ベルゲルミルは木の幹の空洞に隠れて生き延びた。"
ゲルマンの民族が現代のような神殿を築くような事は、全く無かったかもしくは極めて稀なことであった。古代のゲルマンおよびスカンディナヴィアの人々により行われた礼拝の慣例ブロト(供儀)は、聖なる森で行われたとされるケルト人やバルト人のものと似通っている。礼拝は家の他にも、石を積み上げて作る簡素な祭壇ホルグで行われた。しかし、カウパング(シーリングサルとも)やライヤ(レイレとも)、ガムラ・ウプサラのように、より中心的な礼拝の地が少ないながら存在していたように見える。ブレーメンのアダムは、ウプサラにはトール・オーディン・フレイの3柱を模った木像が置かれる、神殿があったのではと主張している。聖職のようなものは存在していたと思われる一方で、ケルト社会における司祭ドルイドの位ほど、職業的で世襲によるものではなかった。これは、女性預言者及び巫女達が、シャーマニズム的伝統を維持していたためである。ゲルマンの王権は、聖職者の地位から発展したのだともよく言われている。この王の聖職的な役割は、王族の長であり生贄の儀式を執り行っていた、ゴジの全般的な役割と同列である。シャーマニズム的考え方を持っていた巫女達も存在してはいたが、宗教そのものはシャーマニズムの形態をとっていない。ゲルマンの人間の生贄を見た唯一の目撃者の記述は、奴隷の少女が埋葬される君主と共に自ら命を差し出したという、ルス人の船葬について書かれたイブン・ファドーランの記録の中に残っている。他にも遠まわしではあるが、タキトゥスやサクソ・グラマティクス、そしてブレーメンのアダムの記述に残っている。
アマテラスら高天原にいた神々(天津神)は、葦原中国を統治するべきなのは天津神、とりわけアマテラスの子孫だとした。そのため、何人かの神を出雲に使わした[16]。大国主の子である事代主・タケミナカタが天津神に降ると、大国主も大国主のための宮殿建設と引き換えに、天津神に国を譲ることを約束する。この宮殿は後の出雲大社である[17][18]。アマテラスの孫であるニニギが葦原中国平定を受けて日向に降臨した[19]。ニニギはコノハナノサクヤビメと結婚した。ニニギの子[20]である海幸彦・山幸彦は山幸彦が海幸彦の釣り針をなくしたことでけんかになった[6]。山幸彦は海神の宮殿に赴き、釣り針をみつけ、釣り針を返した。山幸彦は海神の娘と結婚しウガヤフキアエズという子をなした。ウガヤフキアエズの子がカムヤマトイワレヒコ(またはカンヤマトイワレヒコ。後の神武天皇)である[6][21]。
このうち、昔話には、発端句(「むかし」を含むものが多い)と結句(「どっとはらい」など)に代表される決まり文句がある。また、固有名詞を示さず、描写も最小限度にとどめ、話の信憑性に関する責任を回避した形で語られる。時代や場所をはっきり示さず、登場人物の名前も「爺」「婆」や、出生・身体の特徴をもとにした普通名詞的である。「桃太郎」は、「桃から生まれた長男」の意味しか持たない。"伝説は、同じ昔の話であっても、一定の土地の地名や年代など、その所在や時代背景が的確に示され、登場人物も歴史上の有名な人物やその土地の何と言う人物など、好んで詳細に示そうとし、定義において昔話との大きな相違点とされる。 これらの事から、伝説には伝記風の態度と要素があるが、昔話はフィクション(創作)として語られている。しかし一部の土地では「炭焼き長者」や「子育て幽霊」などといった昔話が伝説化し、定着している例も挙げられる。"世間話は体験談や実話として語られる民話である。