地域的洪水説とカルデア

パンドーラーは結果的にエピメーテウスに、そして人間の種族に災いを齎し不幸を招来した。ヘーシオドスは更に、金の種族、銀の種族、銅の種族についてうたう。これらの種族は神々が創造した人間の族であった。金の種族はクロノスが王権を掌握していた時代に生まれたものである[65]。この最初の金の種族は神々にも似て無上の幸福があり、平和があり、長い寿命があった。しかし銀の種族、銅の種族と次々に神々が新しい種族を造ると、先にあった者に比べ、後から造られた者はすべて劣っており、銅(青銅)の時代の人間の種族には争いが絶えず、このためゼウスはこの種族を再度滅ぼした。金の時代と銀の時代は、おそらく空想の産物であるが、次に訪れる青銅の時代、そしてこれに続く英雄(半神)の時代と鉄の時代は、人間の技術的な進歩の過程を跡づける分類である。これは空想ではなく、歴史的な経験知識に基づく時代画期と考えられる。第4の「英雄・半神」の時代は、ヘーシオドスが『女傑伝(カタロゴイ)』で描き出した、神々に愛され英雄を生んだ女性たちが生きた時代と言える。英雄たちは、華々しい勲にあって生き、その死後はヘーラクレースがそうであるように神となって天上に昇ったり、楽園(エーリュシオンの野)に行き、憂いのない浄福の生活を送ったとされる(他方、オデュッセウスが冥府にあるアキレウスに逢ったとき、亡霊としてあるアキレウスは、武勲も所詮空しい、貧しく名もなくとも生きてあることが幸福だ、とも述懐している[66])。英雄の時代も去り、いまや「鉄の時代」となり、人の寿命は短く、労働は厳しく、地は農夫に恵みを与えること少なく、若者は老人を敬わず、智慧を尊重しない……これが、我々がいま生きている時代・世界である、とヘーシオドスは言う。このような人生や世界の見方は、詩人として名声を得ながらも、あくまで一介の地方の農民として暮らしを立てて行かねばならなかったヘーシオドスの人生の経験が反映しているとされる。世には、半神たる英雄を祖先に持つと称する名家があり、貴族がおり、富者がおり、世のなかには矛盾がある。しかし、神はあくまで善なる者で、人は勤勉に労働し、神々を敬い、人間に与えられた分を誠実に生きるのが最善である。

この神話で有名な部分は天地創造や半神の英雄ギルガメシュの冒険などが挙げられる。"現在知られている神話の形に成るまで三つの段階がある。 最初にシュメール人が考えたシュメール神話である。これは楔形文字で粘土板に書かれた、世界最古の神話とされる。""次にシュメール人を支配したアッカド人が継承したアッカド神話である。アッカド神話は大きくバビロニア神話とアッシリア神話に分かれるが、これは言語の違いだけであり、内容にほとんど差はない。 その大部分はシュメール神話に類似、或いはそのままの状態で継承されている。特に神々の名前など、シュメール神話同様のものが扱われる。そして、この段階でほぼ現在に知られている古代メソポタミア地域の神話は確立した。"

"これらの神話は、多くの社会にとっても必要と思われる訓話として、タブーを破れば何が起こるかを人民に示している。 これらの神話の洪水のほぼすべての原因は、一般大衆の邪悪さのためとされ、どの文化の神話においても、数少ない生存者は、長所をよく体現した者とされるのである。""考古学者のマックス・マローワンとレオナード・ウーリーの支持を得た理論は、地域的洪水の説で、古代近東洪水説話とユーフラテス川の特定の一つの河川氾濫(放射性炭素による年代特定で紀元前2900年、ジェムデト・ナスル期の終わりとされる)とを結びつけるものである。 アトラハシス叙事詩のタブレットIIIのiv、6-9 行めで明らかに洪水が地域的河川氾濫だと確認できる。"「とんぼのように人々の遺体は川を埋めた。いかだのように遺体は船のへりに当たった。いかだのように遺体は川岸に流れ着いた。」

"ソークラテースの弟子であり偉大なソピステースたちの論法を知悉していた紀元前4世紀のプラトーンは、古代ギリシアの民主主義の破綻と欠陥を認めず、彼が理想とする国家についての構想を語る。プラトーン以前には、ホメーロスの叙事詩が青少年の教科書でもあり、戦士としての心構え、共同体の一員たる倫理などは彼の二大作品を通じて学ばれていた。しかし、プラトーンは『国家』において、異様な「理想社会」のモデルを提唱した。プラトーンはまずホメーロスと英雄叙事詩を批判し、これをポリスより追放すべきものとした[100] [101]。また、彼の理想の国家にあっては、「悲劇」は有害であるとしてこれも否定した[102]。"しかし、このような特異な思想を語ったプラトーンはまた謎の人とも言えた。神話(ミュートス)を青少年の教育に不適切であるとする一方で、彼自身は自分の著作に、ふんだんに寓意を用い、真実を語るために「神話」を援用した[103]。ポリスの知識人階級のあいだでは、古来のギリシア神話の神々や英雄は、崇拝の対象ではなく、修辞的な装飾とも化した。こうしてアレクサンドロスがアケメネス朝を滅ぼし、みずからが神であると宣言したとき、「神々への崇拝」はポリス共同体から消え去った、あるいはもはやポリスはこのような宗教的情熱を支えるにはあまりにも変質してしまったのだと言える。神話(ミュートス)が備えていたリアリティは消失し、神話と現実の分離が起こった[104]。人々の敬神の伝統はそれでもパウサーニアースが紀元後になって証言しているようにアテーナイにおいても、またギリシアの地方や田舎にあってなお続くが、叙事詩や悲劇がうちに込めていた神秘、ギリシア神話の真実性はもはや回復することのない終演の場面に至ったと言える。ヘレニズムの洪水のなかで、古代ギリシアのアルカイクな真実は失われ、文献学者の死せる素材の収集と、哲学者たちの理性的問答のなかで、それは枯死したかつての大樹か、またはオウィディウスが提供する甘美な恋愛譚の背後に消えてしまった。アリストテレースはこうして「歌うたいが法螺をふいている」と著作のなかで断言した[105]。古代の最後の秋にあって、背教者の汚名を着せられたユリアヌスはいま一度古の神々を復活させようと試みた。しかし、すでに地上には新しい神々が、別の真理を伝えていたのである。

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