おとぎ話の起源とインド
"ローマ人は、紀元前6世紀から ギリシアの影響を受けて、ローマ古来の神々をギリシア神話の神々と同一視する、いわゆる「ギリシア語への翻訳」が行われた。その結果、下記の「主な神々」の欄に記したように、ローマ固有の神に対応するギリシアの神が決まっていったのである。"アエネアス神話は、紀元前4世紀にラティヌス神話をそっくり模倣したものであると考えられている。ラティヌスは、ラテン人が毎年アルバーノ山(現カーヴォ山)でユピテル・ラティアリス神に犠牲を捧げるとき、神話上の父祖たる王を呼ぶとき使った名前である。現に、ラティヌスの名が記された紀元前6世紀の碑文が出土しているし、ローマ西方の海岸のラウィニウム(現プラティカ・ディ・マーレ)で発掘された墳墓はラティヌスに奉献されたものである、と考える研究者もいる。アエネアス神話においては、ラティヌスは、アエネアスが地中海を彷徨した挙句、ラウィニウムに上陸したとき提携した土着民の王として出現する。紀元前3世紀末、クィントゥス・ファビウス・ピクトルが初めてギリシア語で詳細なローマの起源に関する物語『年代記』を書いた。彼以降、ローマの創建者はロムルスとされる。
ミュケーナイ王家の悲劇に密接に関連するアイギストスもペロプスの子孫で、オレステースと血が繋がっている。他方、アトレウスの兄弟とされるアルカトオスの娘ペリボイアは、アイアコスの息子であるサラミス王テラモーンの妻であり、二人のあいだの息子がアイアースである。また、テラモーンの兄弟でアイアコスのいま一人の息子がペーレウスで、「ペーレウスの息子」(ペーレイデース)が、トロイア戦争の英雄アキレウスとなる[83]。リビュアーは雌牛となったイーオーの孫娘に当たっている。リビュアーと海神ポセイドーンのあいだに生まれたのがフェニキア王アゲーノールで、テーバイ王家の祖であるカドモスと、クレーテー王家の祖とも言える娘エウローペーは彼の子である。カドモスは竜の歯から生まれた戦士でよく知られる。彼の孫がテーバイ王ペンテウスであり、ペンテウスはディオニューソス信仰を否定したため、狂乱する女たちに引き裂かれて死んだ。その女たちのなかには、彼の母アガウエーや伯母イーノーも含まれていたとされる。カドモスの娘にはセメレーがあり、彼女はゼウスの愛を受けてディオニューソスを生んだ。ペンテウスとディオニューソスは従兄弟同士となる。カドモスの別系統の孫にラブダコスがあり、彼はラーイオスの父で、ラーイオスの息子がオイディプースである。オイディプースには妻イオカステーのあいだに娘アンティゴネー等がいる。
エッダにおいては一部の巨人が言及され、自然力の表現であるようにも見える。巨人には通常、サーズ(Thurse)と普通の横暴な巨人の2つのタイプがあるが、他にも岩の巨人や火の巨人がいる。エルフやドワーフといった存在もおり、彼らの役割は曖昧な点もあるが概して神々の側についていたと考えられている。加えて、他にも霊的な存在が数多く存在する。まず、巨大な狼であるフェンリルや、ミズガルズの海に巻きつくウミヘビ(ミミズであるとも[要出典])のヨルムンガンドという怪物がいる。この怪物達は悪戯好きの神ロキと、巨人アングルボザの子として描かれている(3番目の子はヘルである)。それらよりも慈悲深い怪物は2羽のワタリガラスであるフギンとムニン(それぞれ「思考」と「記憶」を意味する)である。オーディンはその水を飲めばあらゆる知識が手に入るというミーミルの泉で、自身の片目と引き換えに水を飲んだ。そのため、この2匹のカラス達はオーディンに、地上で何が起こっているかを知らせる。その他、ロキの子で八本足の馬スレイプニルはオーディンに仕える存在で、ラタトスクは世界樹ユグドラシルの枝で走り回るリスである。"北欧神話は、他の多くの多神教的宗教にも見られるが、中東の伝承にあるような「善悪」としての二元性をやや欠いている。そのため、ロキは物語中に度々主人公の一人であるトールの宿敵として描かれているにもかかわらず、最初は神々の敵ではない。巨人たちは粗雑で乱暴・野蛮な存在(あまり野蛮ではなかったサーズの場合を除く)として描かれているが、全くの根本的な悪として描かれてはいない。つまり、北欧神話の中で存在する二元性とは厳密に言えば「神 vs 悪」ではなく、「秩序 vs 混沌」なのである。神々は自然・世の中の道理や構造を表す一方で、巨人や怪物達は混沌や無秩序を象徴している。"
また、古代のギリシア人自身のなかでも疑問は起こっていたのであり、紀元前6世紀の詩人哲学者クセノパネースは、ホメーロスやヘーシオドスに描かれた神々の姿について、盗みや姦通や騙し合いを行う下劣な存在ではないかと批判している[91]。"とはいえ、ホメーロスもヘーシオドスも疑いなく、自分たちのうたった神話が「真実」であることに確信を持っていた。この場合、何が真実で、何が偽なのかという規準が必要である[92]。しかし彼らがうたったのは、神々や人間に関する真実であって、造話や虚構と現代人が考えるのは、真実を具象化するための「表現」であり「技法」に過ぎなかった[93] [94]。"神話の重要な与件の一つとして作者の無名性が考えられていた。誰が造ったのでもなく太古の昔より存在するのが神話であった[95]。紀元前7世紀中葉以降、叙事詩的伝統に代わって、個人の感情や思いをうたう叙情詩が誕生する。抒情詩人は超越的な神々の存在について寧ろ無関心であった。しかし、これに続いて出現したギリシア悲劇においては、ムーサ女神への祈りもなく、明らかに彼らが創作したと考えられる物語を劇場で公開するようになる。これによってギリシア神話は人間的奥行きを持ち深化したが、彼らは神話を信じていたのだろうか。これに対する答えは、悲劇詩人たちはニーチェが洞察したように、コロスの導入によって、そして今一つに「英雄」の概念の変遷により、共同体の真実をその創作に具現していた。彼らはなお神を信仰していたのである[96]。