日本神話とカルデア
本来、日本各地にはそれぞれの形で何らかの信仰や伝承があったと思われ、その代表として出雲が登場するが、ヤマト王権の支配が広がるにつれてそのいずれもが国津神(くにつかみ)または「奉ろわぬ神」という形に変えられて「高天原神話」の中に統合されるに至ったと考えられている[3]。また、後世までヤマト王権などの日本の中央権力の支配を受けなかったアイヌや琉球にはそれぞれ独自色の強い神話が存在する。中世に入ると、『太平記』などの軍記物、歌学書やその注釈、寺社縁起などにおいて『日本書紀』にもとづきながらその内容に大きな差異が認められる、いわゆる中世神話(中世日本紀)が発達した。中世神話のなかでは本地垂迹説にもとづいて記紀の神々が仏教の尊格と同一視されたり、あるいは対等に渡り合っている。記紀にはみられない神格やアイテムが登場したり、地方神話、民間伝承や芸能から取り込まれた要素が神話の中に混ざりこんでいたりすることもある。記紀神話とは異なり最後まで正統的な文献が存在しなかったため、豊富なバリエーションが多く残されている。中世神話は現在ではおもに国文学方面で研究がおこなわれており、神話学などではあまりあつかわれていない。近世になると、伊勢国出身の本居宣長が、古事記に対して本格的解明を目指し名著『古事記伝』を書き上げ、『日本書紀』優位の神話が一変して、『古事記』優位の神話が主体となり、現在にいたっている。
英雄の時代も去り、いまや「鉄の時代」となり、人の寿命は短く、労働は厳しく、地は農夫に恵みを与えること少なく、若者は老人を敬わず、智慧を尊重しない……これが、我々がいま生きている時代・世界である、とヘーシオドスは言う。このような人生や世界の見方は、詩人として名声を得ながらも、あくまで一介の地方の農民として暮らしを立てて行かねばならなかったヘーシオドスの人生の経験が反映しているとされる。世には、半神たる英雄を祖先に持つと称する名家があり、貴族がおり、富者がおり、世のなかには矛盾がある。しかし、神はあくまで善なる者で、人は勤勉に労働し、神々を敬い、人間に与えられた分を誠実に生きるのが最善である。一方で、武勲を称賛し、王侯貴族の豪勢な生活や栄誉、詩や音楽や彫刻などの芸術の高みに、恵まれた人は立ち得る。しかし庶民の生活は厳しいものであり、そこで人間としていかに生きるか、ヘーシオドスは神話に託して、人間のありようの諸相をうたっていると言える。"ギリシア神話においては、ヘーシオドスが語る五つの時代の最後の時代、すなわち現在である「鉄の時代」の前に、「英雄の時代」があったとされる。英雄とは、古代ギリシア語でヘーロース(heeroos、 ηρως)と呼ぶが、この言葉の原義は「守護者・防衛者」である。しかしホメーロスでは、君公とか殿の意味で支配者・貴族・主人について普通に使用されていた[67] [68]。"
また創世記の第2章以降では、もう一つの天地と人間の創造が語られている。カバラ思想では、ツィムツーム(en:Tzimtzum、「縮小」とも)という解釈もなされている。"バビロニアにおける創造神話は、『エヌマ・エリシュ』(Enuma Elish)としても知られる『創世記』において語られる。"
神々にはアース神族・ヴァン神族・ヨトゥンの3つの氏族がある。当初互いに争っていたアース神族とヴァン神族は、最終的にアース神族が勝利した長きに渡る戦争の後、和解し人質を交換、異族間結婚や共同統治を行っていたと言われており、両者は相互に関係していた。一部の神々は両方の氏族に属してもいた。この物語は、太古から住んでいた土着の人々の信仰していた自然の神々が、侵略してきたインド=ヨーロッパ系民族の神々に取って代わられた事実を象徴したものではないかと推測する研究者もいるが、これは単なる憶測に過ぎないと強く指摘されている。他の権威(ミルチャ・エリアーデやJ・P・マロイ等)は、こうしたアース神族・ヴァン神族の区分は、インド=ヨーロッパ系民族による神々の区分が北欧において表現されたものだったとし、これらがギリシア神話におけるオリュンポス十二神とティーターンの区分や、『マハーバーラタ』の一部に相当するものであると考察した。アース神族とヴァン神族は、全体的にヨトゥンと対立する。ヨトゥンはギリシア神話でいうティーターンやギガースと同様の存在であり、一般的に「giants(巨人)」と訳されるが、「trolls(こちらも巨人の意)」や「demons(悪魔)」といった訳の方がより適しているのではないかという指摘もある。しかし、アース神族はこのヨトゥンの子孫であり、アース神族とヴァン神族の中にはヨトゥンと異族間結婚をした者もいる。例えば、ロキは2人の巨人の子であり、ヘルは半巨人である。言うまでもなく、最初の神々オーディン、ヴィリ、ヴェーは、雌牛アウズンブラの父が起源である。エッダにおいては一部の巨人が言及され、自然力の表現であるようにも見える。巨人には通常、サーズ(Thurse)と普通の横暴な巨人の2つのタイプがあるが、他にも岩の巨人や火の巨人がいる。エルフやドワーフといった存在もおり、彼らの役割は曖昧な点もあるが概して神々の側についていたと考えられている。