ミックマックと地域的洪水説
ヴェーダ神話の初期においては、神々はデーヴァ神族とアスラ神族とに分類されている。デーヴァは現世利益を司る神々とされ、人々から祭祀を受け、それと引き換えに恩恵をもたらす存在とされた。代表的なデーヴァは雷神インドラであり、実に『リグ・ヴェーダ』全讃歌の4分の1が彼を讃えるものである。一方アスラは倫理と宇宙の法を司る神々で、恐るべき神通力と幻術を用いて人々に賞罰を下す者として畏怖された。代表的な神はヴァルナである。アスラは『リグ・ヴェーダ』初期においては必ずしも悪い意味で用いられなかったが、デーヴァ信仰が盛んになるにつれて信仰が衰えていった。さらに、ヴァルナをはじめ有力なアスラ神がデーヴァとされるようになり、遂に『リグ・ヴェーダ』の中でも末期に成立した部分では神々に敵対する悪魔を指すようになった。一方イラン神話においては、アスラに対応するアフラがゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーとなり、デーヴァにあたるダエーワが悪魔の地位に落とされている。
どの民族でも古い時代には(現代でもあるが)神話がそのまま信じられ信仰の基礎となっていたが、時代が下るとともにこれを合理的に解釈する傾向が出てくる。古くは古代ギリシャ(紀元前6世紀頃から)で、神話を寓喩的・象徴的に解釈する考え方、あるいは偉人を神格化した歴史叙述と見る考え方が現れた。神話を対象とするヨーロッパでの近代的研究は17世紀終わりから始まり、19世紀中葉に至って本格的に展開するようになり[1]、いくつかの研究の流れが現れた。例えばヴィルヘルム・ヴントの民族心理学、デュルケームの社会学、ジェームズ・フレイザーらの民俗学によるものなどがある。特に20世紀に入ってから、種々の観点から神話に対して膨大な研究が行われ、神話学は広い学問分野となった。代表的なものとしては、ジョルジュ・デュメジルらによる比較言語学的な比較神話研究、クロード・レヴィ=ストロースの文化人類学からの研究などがある。またカール・ユングは心理学と神話研究を結び付け、独自の分析心理学理論を構築した。さらに文学批評理論に基づく研究、比較宗教学的な研究(ミルチャ・エリアーデら)等がある。現代の一般神話理論の研究者としてはジョゼフ・キャンベルがよく知られる。
ヘイムスクリングラでは、スウェーデンの王アウンが登場する。彼は息子エーギルを殺すことを家来に止められるまで、自分の寿命を延ばすために自分の9人の息子を生贄に捧げたと言われる人物である。ブレーメンのアダムによれば、スウェーデン王はウプサラの神殿でユールの期間中、9年毎に男性の奴隷を生贄としてささげていた。当時スウェーデン人達は国王を選ぶだけでなく王の位から退けさせる権利をも持っていたために、飢饉の年の後に会議を開いて王がこの飢饉の原因であると結論付け、ドーマルディ王とオーロフ・トラタリャ王の両者が生贄にされたと言われている。知識を得るためユグドラシルの樹で首を吊ったという逸話からか、オーディンは首吊りによる死と結びつけて考えられていた。こうしてオーディンさながら首吊りで神に捧げられたと思われる古代の犠牲者は窒息死した後に遺棄されたが、ユトランド半島のボグでは酸性の水と堆積物により完全な状態で保存された。近代になって見つかったこれらの遺体が人間が生贄とされた事実の考古学的な裏付けとなっており、この一例がトーロン人である。しかし、これらの絞首が行なわれた理由を明確に説明した記録は存在しない。北欧神話を解釈する上で重要なのは、キリスト教徒の手により「キリスト教と接触していない」時代について書かれた記述が含まれているという点である。『散文のエッダ』や『ヘイムスクリングラ』は、アイスランドがキリスト教化されてから200年以上たった13世紀に、スノッリ・ストゥルルソンによって書かれている。これにより、スノッリの作品に多くのエウヘメリズム思想が含まれる結果となった。
さらに、ラヴクラフトが東洋人・ポーランド人・黒人などのマイノリティに対して恐怖感と嫌悪感を持っていたことも知られている[4]。多くの人種の平等を唱えながらネグロイドとオーストラロイドだけは生物学的に劣っているとして、この二者に対して明確な線引きが必要だと主張した[5]。当時としては問題にはならないが、現代であれば人種差別主義と言えるほどの偏見であり、これはそのまま『クトゥルフの呼び声』や『ダンウィッチの怪』での人間と人ならざるものとの混血といったモチーフに結びついている[6]。なお、ラヴクラフトは中国文明をアングロサクソンの文明よりも偉大なものと見なしており、必ずしも白人優越主義者ではない。また、ドイツにおけるユダヤ人迫害の実態を知った後はナチスを厳しく批判していた。それがラヴクラフトが作中に表出させた自身の偏見を減じるものではないという考えもできるが、キップリング同様、ラヴクラフトの生活していた時代の欧米社会は西洋文明の優越性とそれを優生学的に肯定する人種論が顕著に残っていたこと、とりわけ彼の生まれ育った当時のニューイングランドはピューリタン伝統主義の強い保守的な環境であったこと、彼の作品にホラー小説が多いことから恐怖性への注目やホラー創作物への偏見が強く浴びせられることを考慮する必要がある。ラヴクラフトの親しい友人にはロバート・ブロックやケネス・スターリングなどユダヤ系の人も多く、とりわけスターリングは「ラヴクラフトには人種的・宗教的偏見は寸毫も見出せなかった」「あれほど人種的・宗教的偏見のない平等主義者は想像しがたい」と回想している。また、ニューヨークに象徴される現代アメリカ文化に対する嫌悪感も強く描写されており、ラヴクラフトの恐怖と嫌悪は人種云々以前に現実全般(己自身をも含む)に及んでいたものと思われる[7]。一連の小説世界はラヴクラフトによって創始され、彼の死後にその友人である作家オーガスト・ダーレスがいくつかの重要な設定を付加して「クトゥルフ神話」として体系化した。ラヴクラフト自身は人知や時空を超越した宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)を描く新しいジャンルの小説を構想しており、事実後期の作品群には共通した人名、地名、怪物名、書名等が現れ、作品間の時系列的関係にも考慮の跡がみられる。しかし、背景をなす神話世界の全体像に関してはもっぱら暗示するにとどまった(これは怪奇文学の表現技法の一つでもある→朦朧法)。