民話・昔話と中国神話

"フィン族は精霊信仰をベースに、世俗化はしたものの原始宗教的な伝説を守ってきた。狩り(ペイヤイネン Peijainen)や収穫、種蒔きといった儀式は、社会的イベントとして開催されたが、根底にある宗教的部分は全く欠落しなかったのである。"周囲の文化の緩やかな影響によって、単一神教的な考え方から空神を主神格に上げたけれども、彼らにとっては空神も元来は他と同じ「自然界の存在の1つ」でしかなかった。"最も神聖視された動物の熊は、フィン族の祖先の化身と見なされていたため、具体的な名前を声に出して呼んだりせず、”mesikämmen”(草地の足)、 ”otso”(広い額)、 ”kontio”(陸に棲むもの)といった婉曲表現で呼んでいた。"

トロイア戦争をめぐっては、その前提となったパリスの審判の物語や、ギリシアとトロイエのあいだの交渉、アカイア軍の出陣、そして長期に渡る戦争の経過などが知られている。『イーリアス』は十年に及ぶ戦争のなかのある時点を切り出し、劇的に、アキレウスの怒りと、代理で出陣したパトロクロスの戦死、ヘクトールとの闘い、そして彼の死と、その葬送のための厳粛な静けさで物語が閉じる。他方、『オデュッセイア』では、戦争の終結後、帰国しようとしたオデュッセウスが嵐に出会い、様々な苦難を経て故郷へと帰る物語が記されている。トロイア戦争の経過の全貌はどのようなものであったのか、トロイエ陥落のための「木馬の計略」の話などは、断片的な物語としては伝わっていたが、完全な形のものは今日伝存していない。しかし、この神話あるいは歴史的な伝承が、大きな物語圏を築いていたことは今日知られている。"神話は多くの場合、かつて生きていた宗教や信仰の内実、すなわち世界の「真実」を神聖な物語(文学的表現)または象徴の形で記録したものだと言える。このことは、現在もなお生きている宗教にも該当する。神話はまた多くの場合、儀礼と密接な関係を持つ[87] [88]。エリアーデは神話は世界を含む「創造を根拠付ける」ものとした。このことは人間の起源の説明が宗教的世界観の一部として大きな意味を持つことからも肯定される[89]。"

古代中国文学には、洪水神話の起源が多くある。幾つかは世界的な大洪水に言及しているように見える:"『書経』(中国最古の歴史書)は紀元前700年かそれ以前に書かれたものだが、冒頭の章で、堯が天に届くような洪水の問題に直面していたと述べている。 これは、治水に成功して有名な禹の影響が背後にある。 彼は続いて、中国の最初の王朝を創設した。 (参照:『書経』、Part 1 Tang Document、 Yao Canon、James Legges 訳)"

スラヴ神話は地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。『原初年代記(過ぎし年月の物語)』という資料に東スラヴに伝わった神話に関する記述がある。そこに異教神話の神の名として以下の神々の名が挙げられている。また、上記のような神々を主人公とした叙事詩以外にも民間信仰レベルで『ロシアの魔女ヤガーばあさん』、『不死のコシチェーイ老人』(英語版)、『寒さのモローズ爺』(スラヴのサンタクロース、英語版)などといった昔話的な神話や自然現象などに端する精霊に関する寓話として『水の精ヴォジャノーイ』、『森の精レーシー』、『家の精ドモヴォーイ』、『水と森の精ルサールカ』なども存在した事が判明している。

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