インド神話とアジア

ゼウスが成年に達すると、彼は父親クロノスに叛旗を翻し、まずクロノスに薬を飲ませ、彼が飲み込んでいたゼウスの姉や兄たちを吐き出させた。クロノスは、ヘスティアー、デーメーテール、ヘーラーの三女神、そして次にプルートーン(ハーデース)とポセイドーン、そしてゼウスの身代わりの石を飲み込んでいたので、順序を逆にしてこれらの石と神々を吐き出した。ゼウスたち兄弟姉妹は力を合わせてクロノスとその兄弟姉妹たち、すなわちティーターンの一族と戦争を行った。これをティーターノマキアー(ティーターンの戦争)と呼ぶ。彼らはティーターネスに勝利し、ティーターン族をタルタロスに幽閉し、百腕巨人(ヘカトンケイレス)を番人とした。こうして勝利したゼウスたちは互いに籤を引き、その結果、ゼウスは天空を、ポセイドーンは海洋を、ハーデースは冥府をその支配領域として得た[39]。しかしゲー(ガイア)はティーターンをゼウスたちが幽閉したことに怒り、ウーラノス(天空)と交わり、ギガース(巨人)たちを生み出した。ギガースたち(ギガンテス)は巨大な体と獰猛な気性を備え、彼らは大挙してゼウスたちの一族に戦いを挑んだ。ゼウスたちは苦戦するが、シシリー島をギガースの上に投げおろすなど、激しい争いの末にこれを打破した。これらの戦いをギガントマキアー(巨人の戦争)と呼称する。しかし、ゲーはなお諦めず、更に怒ってタルタロスと交わり、怪物テューポーンを生み出した。テューポーンは一時、ゼウスを捕虜にするなど、圧倒的な強さを誇ったが、オリュンポス神族の連携によって遂に敗北し滅ぼされた[40]。

こうした原典のほか、9世紀から14世紀にかけて北欧で編纂された『サガ』や『サットル』、『スカルド詩』などにも北欧の信仰は反映されており、これらから伺い知ることができる神話も存在する。またその他スカンディナヴィアの伝承などにも残存する言い伝えがあり、その中の一部は、古英語で書かれた『フィンネスブルグ争乱断章』に関連する物語や、『デーオルの嘆き』中に登場する神話的な物語への言及など、時代の古いゲルマン文学に現れる伝説に裏付けられている。数々の部分的な文献や言い伝えが残っている時、学者達は詩の背後にある意味合いや表現を推論することが出来るのである。加えてスカンディナヴィアには、神々にちなんでつけられた地名が数多く存在する。"レーク石碑(Rök Runestone)やクヴィネビ・アミュレット(Kvinneby amulet)のように、表面に刻まれているごく少数のルーン文字の碑文にも、神話への言及がなされている。トールの魚釣りの旅や『ヴォルスンガ・サガ』からの場面、オーディンとスレイプニルやフェンリルに飲み込まれるオーディンなど、北欧神話からの場面を描いたルーン文字石碑やイメージ・ストーンもある。現存するフンネシュタット石碑(Hunnestad Monument)の1つには、狼に跨ってバルドルの葬式へ行くヒュロッキンが描かれている[2]。"デンマークでは、巻いた口髭が生え、口を閉じられているロキの絵が描かれたイメージ・ストーンがあるほか、複雑に入り組んだ絵が描かれたイギリスのゴスフォース十字架石碑もある。更に、隻眼のオーディンやハンマーを持つトール、直立した男根のフレイなど、神々を描いた小立像も存在する。

この神話文学には霊的な創造物達もさることながら、英雄や王たちの伝説にも関連している。物語に登場する氏族や王国を設立した人物たちは、実際に起こったある特定の出来事や国の起源などの例証として、非常に重要であるという。この英雄を扱った文学は他のヨーロッパ文学に見られる、叙事詩と同様の機能を果たし、民族の固有性とも密接に関連していたのではないかと考えられている。伝説上の人物はおそらく実在したモデルがあったとされ、スカンディナヴィアの学者達は何代にも渡って、サガにおける神話的人物から実際の歴史を抽出しようと試みているのである。ウェーランド・スミス(鍛冶師のヴィーラント)とヴォルンドル、シグルズルとジークフリート、そしておそらくはベオウルフとボズヴァル・ビャルキなど、時折ゲルマンのどの世界で叙事詩が残存していたかにより、英雄も様々な表現形式で新たに脚色される。他にも、著名な英雄にはハグバルズル、スタルカズル、ラグナル・ロズブローク(粗毛ズボンのラグナル)、シグルズル金環王、イーヴァル広範王(イーヴァル・ヴィーズファズミ)、ハラルドル戦舌王(ハーラル・ヒルデタンド)などがいる。戦士に選ばれた女性、盾持つ処女も著名である。女性の役割はヒロインとして、そして英雄の旅に支障をきたすものとして表現されている。ゲルマンの民族が現代のような神殿を築くような事は、全く無かったかもしくは極めて稀なことであった。古代のゲルマンおよびスカンディナヴィアの人々により行われた礼拝の慣例ブロト(供儀)は、聖なる森で行われたとされるケルト人やバルト人のものと似通っている。礼拝は家の他にも、石を積み上げて作る簡素な祭壇ホルグで行われた。しかし、カウパング(シーリングサルとも)やライヤ(レイレとも)、ガムラ・ウプサラのように、より中心的な礼拝の地が少ないながら存在していたように見える。ブレーメンのアダムは、ウプサラにはトール・オーディン・フレイの3柱を模った木像が置かれる、神殿があったのではと主張している。

この記事では日本神話のあらすじを述べるにとどめ、各神話の詳細は別記事に譲る。世界の最初に高天原で、別天津神・神世七代という神々が生まれた。これらの神々の最後に生まれてきたのがイザナギ・イザナミである[4][5]。イザナギ・イザナミは葦原中国に降り、結婚して大八洲と呼ばれる日本列島を形成する島々を次々と生み出していった。さらに、さまざまな神々を生み出していったが[4]、火の神カグツチを出産した際にイザナミはカグツチの火にホト(性器)を焼かれたのがもとで病となり死んでしまい[6]、出雲と伯耆の境の比婆の山(現;島根県安来市)に埋葬された。イザナギはカグツチを殺し、イザナミをさがしに黄泉の国へと赴く。しかし、黄泉の国のイザナミは既に変わり果てた姿になっていた。これにおののいたイザナギは逃げた[6]。イザナギは黄泉のケガレを嫌って禊をした。この時もさまざまな神々が生まれた。左目を洗ったときに生まれた神がアマテラス(日の神、高天原を支配)・右目を洗ったときにツクヨミ(月の神、夜を支配)・鼻を洗ったときにスサノオ(海原を支配)が成り、この三柱の神は三貴子と呼ばれ、イザナギによって世界の支配を命じられた[7][8]。

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