諸文化における大洪水神話とギリシア神話

アース神族とヴァン神族は、全体的にヨトゥンと対立する。ヨトゥンはギリシア神話でいうティーターンやギガースと同様の存在であり、一般的に「giants(巨人)」と訳されるが、「trolls(こちらも巨人の意)」や「demons(悪魔)」といった訳の方がより適しているのではないかという指摘もある。しかし、アース神族はこのヨトゥンの子孫であり、アース神族とヴァン神族の中にはヨトゥンと異族間結婚をした者もいる。例えば、ロキは2人の巨人の子であり、ヘルは半巨人である。言うまでもなく、最初の神々オーディン、ヴィリ、ヴェーは、雌牛アウズンブラの父が起源である。エッダにおいては一部の巨人が言及され、自然力の表現であるようにも見える。巨人には通常、サーズ(Thurse)と普通の横暴な巨人の2つのタイプがあるが、他にも岩の巨人や火の巨人がいる。エルフやドワーフといった存在もおり、彼らの役割は曖昧な点もあるが概して神々の側についていたと考えられている。加えて、他にも霊的な存在が数多く存在する。まず、巨大な狼であるフェンリルや、ミズガルズの海に巻きつくウミヘビ(ミミズであるとも[要出典])のヨルムンガンドという怪物がいる。この怪物達は悪戯好きの神ロキと、巨人アングルボザの子として描かれている(3番目の子はヘルである)。それらよりも慈悲深い怪物は2羽のワタリガラスであるフギンとムニン(それぞれ「思考」と「記憶」を意味する)である。オーディンはその水を飲めばあらゆる知識が手に入るというミーミルの泉で、自身の片目と引き換えに水を飲んだ。そのため、この2匹のカラス達はオーディンに、地上で何が起こっているかを知らせる。その他、ロキの子で八本足の馬スレイプニルはオーディンに仕える存在で、ラタトスクは世界樹ユグドラシルの枝で走り回るリスである。

これについて既に気づいている神々は、来たる日に向けて戦死者の魂エインヘリャルを集めるが、巨人族側に負け、神々と世界は破滅する。このように悲観的な中でも2つの希望があった。ラグナロクでは神々や世界の他に巨人族もまたすべて滅びるが、廃墟からより良き新しい世界が出現するのである。オーディンはフェンリルに飲み込まれ、トールはヨルムンガンドを打ち倒すがその毒のために斃れることになる。最後に死ぬのはロキで、ヘイムダルと相討ちになり、スルトによって炎が放たれ、「九つの世界」は海中へと沈む。このように神々はラグナロクで敗北し、殺されてしまうが、ラグナロク後の新世界ではバルドルのように蘇る者もいる。この神話文学には霊的な創造物達もさることながら、英雄や王たちの伝説にも関連している。物語に登場する氏族や王国を設立した人物たちは、実際に起こったある特定の出来事や国の起源などの例証として、非常に重要であるという。この英雄を扱った文学は他のヨーロッパ文学に見られる、叙事詩と同様の機能を果たし、民族の固有性とも密接に関連していたのではないかと考えられている。伝説上の人物はおそらく実在したモデルがあったとされ、スカンディナヴィアの学者達は何代にも渡って、サガにおける神話的人物から実際の歴史を抽出しようと試みているのである。ウェーランド・スミス(鍛冶師のヴィーラント)とヴォルンドル、シグルズルとジークフリート、そしておそらくはベオウルフとボズヴァル・ビャルキなど、時折ゲルマンのどの世界で叙事詩が残存していたかにより、英雄も様々な表現形式で新たに脚色される。他にも、著名な英雄にはハグバルズル、スタルカズル、ラグナル・ロズブローク(粗毛ズボンのラグナル)、シグルズル金環王、イーヴァル広範王(イーヴァル・ヴィーズファズミ)、ハラルドル戦舌王(ハーラル・ヒルデタンド)などがいる。戦士に選ばれた女性、盾持つ処女も著名である。女性の役割はヒロインとして、そして英雄の旅に支障をきたすものとして表現されている。

眠っていたユミルは後に目を覚まし、アウズンブラの乳に酔う。彼が酔っている間、牛のアウズンブラは塩の岩を嘗めた。この出来事の後、1日目が経って人間の髪がその岩から生え、続いて2日目に頭が、3日目に完全な人間の体が岩から現れた。彼の名はブーリといい、名の無い巨人と交わりボルを産むと、そこからオーディン、ヴィリ、ヴェーの3人の神が産まれた。"3人の神々は自分たちが十分に強大な力を持っていると感じ、ユミルを殺害する。ユミルの血は世界に溢れ、2人を除くすべての巨人を溺死させた。しかし巨人は再び数を増やし続け、すぐにユミルが死ぬ前の人数まで達した。その後神々は死んだユミルの屍体で大地を創り、彼の血液で海・川・湖を、骨で石・脳で雲を、そして頭蓋骨で天空をそれぞれ創りだした。更にムスペルヘイムの火花は、舞い上がり星となった。"ある日3人の神々は歩いていると、2つの木の幹を見つけ、木を人間の形へ変形させた。オーディンはこれらに生命を、ヴィリは精神を、そしてヴェーは視覚と聞く能力・話す能力を与えた。神々はこれらをアスクとエムブラと名づけ、彼らのために地上の中心に王国を創り、そこを囲むユミルのまつ毛で造られた巨大な塀で、巨人を神々の住む場所から遠ざけた。

ブルフィンチは神話学者でも宗教学者でもなく、彼の時代にはそもそも「神話学」という学問そのものが未だ存在しなかった。神話の解釈や研究において大きな刺激となったのは、19世紀にあっては、印欧語の比較研究より生まれた比較言語学である。ドイツ生まれで、後半生をイギリスに生き研究を行ったマックス・ミューラーは比較神話学という形の神話解釈理論を提唱した。比較言語学の背景にある思想は当時西欧を席巻していた進化論と進歩主義的歴史観である。ミューラーは、ギリシア神話をインド神話などと比較した上で、これらの神話の意味は、最終的には太陽をめぐる自然現象の擬人化であるとする、ある意味素朴な神話論を主張した[113]。ジェームズ・フレイザーはミューラーと同じく自然神話学を唱えたが、彼は浩瀚な『金枝篇』において王の死と再生の神話を研究し、神話は天上の自然現象の解釈ではなく、地上の現象と社会制度のありようの反映であるとした。また神話は呪術的儀礼を説明するために生み出されたとも主張した。ミューラーの解釈では、ゼウスは太陽の象徴で神々の物語も、太陽を中心とする自然現象の擬人的解釈であるということになる。他方、フレイザーでは、「死して蘇る神」の意味解明が中心主題となる。エレウシースの秘儀がこのような神話であり、ディオニューソスもまた死して後、ザグレウスとして復活する。彼らの主張は多様な神話の比較、比較神話学の手法で、何が神話における神髄的な要素であるのかを抽出する作業の所産とも言える。一方、20世紀にあっては、神話研究のための新しい学説あるいは思想が出現した。一つはジークムント・フロイトが代表者とも言える無意識の発見と、そこより展開した深層心理学の諸理論である。いま一つは、ソーシュールの共時的言語学、すなわち構造主義言語学である。19世紀の比較神話学派と20世紀の構造的な神話解釈派のあいだに立つのがジョルジュ・デュメジルとも言え、デュメジルは後期には「三機能論」を唱えた[114]。

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