巫女の予言:世界の起源と終焉とヘブライ (創世記)
エジプトにおける天地創造はやはり地域差があって一概にいえないが、ヘリオポリス神話においては広い海原からラー(アトゥム)が誕生し、独力で神々と世界を形作っていたとされている(創造神話)。ヘルモポリスでは八位一体の虚無を表す神々(オグドアド)が世界創生の中心的役割を担った。メンフィス周辺ではプタハが天地創造の主導的役割を果たし、彼は言葉と思念によって世界のあらゆるものを作り出したとされる。エレファンティンではクヌムが主神として世界を形作った。クヌムは粘土から人間を作り出した神として知られる。このように、天地創造の神話も地方ごとに異なる。エジプトにおいて天はヌトという女神であり、地はゲブという男神であった。両者は夫婦であり、最初は隙間なくくっついていたが、父たるシュウ(湿気)とテフヌト(空気)によって引き離されて現在の姿になったという。ゲブはヌトに少しでも近づこうと山々を作り出したとされる。古代エジプト人にとって地は平面であり、ナイル川によって分断された二つの大地と海によりできていると考えられていた。地の底には冥界があり、ラーは夜ここを通って再び地上に現れるとされた。エジプト人の生活においてナイル川は重要な役割を果たした。そのため、神話でも多く登場する舞台の一つとなっている。例えばオシリスがセトに騙されて棺に封じ込められた後、ナイルに流されたという説話がある。ナイル川の洪水は”ヌビアの女主人”であるサテトによって起こされると信じられていた。そのため彼女はエジプトで崇敬の対象となった。ナイル川の増水とシリウスの運行に一定の関連があることが知られており、シリウス(ソプデト)も神としての尊敬を受けた。シリウスはイシスの魂と呼ばれており、このようなナイル川への関連性からサテトとソプデトは後に習合されるに至った。
鳥の存在には、もっと別の重要性もあった。まず、人が産まれる瞬間、その魂は鳥が運んできた。そして死の瞬間に運び去るのだ。また、枕元に木製の鳥の像(Sielulintu)を置いておくことで、夢の中で魂が道に迷って帰って来られなくなる事を防いだ。水鳥は物語ではごく普通の存在であるが、岩絵や彫刻に見られるように、古代人の重要な信仰の対象だった事をうかがわせる。"ハデスのフィンランド版、死者の地はトゥオネラ (Tuonela) である。そこは善人悪人を問わない、全ての死者のための地下の家もしくは都市であった。そこは暗く生命の存在しない場所であり、そこで皆が永久に眠った。立派なシャーマンだけは、祖先の教えを請うために、トランス状態でトゥオネラに行く事ができたという。トゥオネラに行くためには、魂はトゥオネラの暗い川を渡らなければならなかった。もし彼に正統な理由があるのであれば、彼を運ぶためのボートが来るという。シャーマンは、トゥオネラの見張りに生きているとばれないように、幾度も死者の振りをして見張りをだます必要があった。"
出雲神話とはいうものの、これらの説話は『出雲国風土記』には収録されていない。ただし、神名は共通するものが登場する。アマテラスら高天原にいた神々(天津神)は、葦原中国を統治するべきなのは天津神、とりわけアマテラスの子孫だとした。そのため、何人かの神を出雲に使わした[16]。大国主の子である事代主・タケミナカタが天津神に降ると、大国主も大国主のための宮殿建設と引き換えに、天津神に国を譲ることを約束する。この宮殿は後の出雲大社である[17][18]。アマテラスの孫であるニニギが葦原中国平定を受けて日向に降臨した[19]。ニニギはコノハナノサクヤビメと結婚した。
神話の重要な与件の一つとして作者の無名性が考えられていた。誰が造ったのでもなく太古の昔より存在するのが神話であった[95]。紀元前7世紀中葉以降、叙事詩的伝統に代わって、個人の感情や思いをうたう叙情詩が誕生する。抒情詩人は超越的な神々の存在について寧ろ無関心であった。しかし、これに続いて出現したギリシア悲劇においては、ムーサ女神への祈りもなく、明らかに彼らが創作したと考えられる物語を劇場で公開するようになる。これによってギリシア神話は人間的奥行きを持ち深化したが、彼らは神話を信じていたのだろうか。これに対する答えは、悲劇詩人たちはニーチェが洞察したように、コロスの導入によって、そして今一つに「英雄」の概念の変遷により、共同体の真実をその創作に具現していた。彼らはなお神を信仰していたのである[96]。"しかし三大悲劇詩人の活動の背後で、奴隷制を基礎に置くギリシアの諸ポリスは、アテーナイを代表として困難に直面することにもなる[97] [98]。ペルシア戦争での奇蹟的な勝利の後、アテーナイの覇権と帝国主義が勃興するが、ポリスは覇権をめぐって相互に争うようになる。敗北したアテーナイにあって独自な思想を語ったソークラテースはなお敬神の謎めいた人物であったが、彼に先駆するソピステースたちは、神々もまた修辞や議論の為の道具と見なし、プロータゴラースは「神々が存在するのかしないのか、我々には知りようもない」と明言した[99]。""ソークラテースの弟子であり偉大なソピステースたちの論法を知悉していた紀元前4世紀のプラトーンは、古代ギリシアの民主主義の破綻と欠陥を認めず、彼が理想とする国家についての構想を語る。プラトーン以前には、ホメーロスの叙事詩が青少年の教科書でもあり、戦士としての心構え、共同体の一員たる倫理などは彼の二大作品を通じて学ばれていた。しかし、プラトーンは『国家』において、異様な「理想社会」のモデルを提唱した。プラトーンはまずホメーロスと英雄叙事詩を批判し、これをポリスより追放すべきものとした[100] [101]。また、彼の理想の国家にあっては、「悲劇」は有害であるとしてこれも否定した[102]。"