童話とメルヘンとゲルマン

作家たちの想像力を尽くした、この世のものとも思えない異形の旧支配者たちは、怪奇ファンを楽しませている。また小説のみならず漫画やゲームの世界にも神話世界は拡張され続けている。日本でのクトゥルフ神話の始まりは、少なくとも1956年において、早川書房『幻想と怪奇2』に「ダンウィッチの怪」の収録が確認されている[8]。ラヴクラフトやクトゥルフ神話が広く知れ渡ったのは、1972年のSFマガジン9月臨時増刊号で、クトゥルフ神話が初めて特集されたこと[8]。翌1972年の幻想と怪奇第4号で「ラヴクラフト=CTHULFU神話」と題され特集された[8]ことから1970年代頃から注目されていると推定できる。初めは翻訳作品だけだったが、1980年代には日本の小説家によるクトゥルフ神話作品が書かれるようになる。紹介された時期がアメリカで作品の書かれた頃よりずっと後だったせいか、ダーレスによるクトゥルフ神話よりはラヴクラフト作品に近づける傾向が強い。中には、栗本薫の『魔界水滸伝』のようにラヴクラフトからも離れた独自解釈を行った作品も見られる。

ユングの深層心理学(分析心理学)や元型概念に強く影響されたのが宗教学者のミルチア・エリアーデであり、彼は歴史に対し否定的な態度からその理論を出発させる。エリアーデは前近代社会(古代社会)と近代社会を対比させ、後者は歴史的・世俗的な現実のありようを重視し、人間の立ち位置を社会の歴史的位置付けと相関させて把握するとした。他方、前者の古代社会は、歴史とは無縁な社会であり、寧ろ歴史を意図的に軽視する社会である。人間は近代社会の歴史性のなかにある限り、存在根拠が定かでなく、絶え間ない不安にある存在である。"しかし古代社会にあっては、世界と人間の起源が神話によって説明されており、人間の存在意味や社会の安定は、このような起源神話への依拠、起源神話の作用として実現しているともした。起源神話は、この20世紀にあっても、なお世俗的な歴史的社会と異なる次元で並列して存在しており、このようにして神話は人の実存的な存在に根拠を与える。西欧はキリスト教の神話で覆われているが、異教的要素がなおそこには存在し、ギリシアの古代の神話は非歴史的にキリスト教の進歩主義・歴史主義を乗り越える契機として存在してある[116] [117]。"紀元3世紀ないし4世紀には未だ、ヘレニズム時代とローマ帝政期に造られ、伝存していた莫大な量の書籍があったとされる[118]。例えば、古典三大悲劇詩人の作品は、現在伝存しているものは、名が伝わっているもののなかの十分の一しかないが、この当時には未だほぼ全巻が揃っていたと考えられる[119]。これらの莫大な書籍・写本は、ヘレニズム時代が過ぎ去り、帝政ローマが終焉を迎えた後では、激減してほとんどの書籍が散逸・湮滅したとされる。

巫女はユグドラシルや3柱のノルン(運命の女神[3])の説明に進む。巫女はその後アース神族とヴァン神族の戦争と、オーディンの息子でロキ以外の万人に愛されたというバルドルの殺害[4]について特徴を述べる。この後、巫女は未来への言及に注意を向ける。古き北欧における未来の展望は、冷たく荒涼としたものであった。同じく北欧神話においても、世界の終末像は不毛かつ悲観的である。それは、北欧の神々がユグドラシルの他の枝に住む者に打ち負かされる可能性があるということだけでなく、実際には彼らは敗北する運命にあり、このことを知りながら常に生きていたという点にも表れている。信じられているところでは、最後に神々の敵側の軍が、神々と人間達の兵士よりも数で上回り、また制覇してしまう。ロキと彼の巨大な子孫達はその結束を打ち破る結果となり、ニヴルヘイムからやってくる死者が生きている者たちを襲撃する。見張りの神であるヘイムダルが角笛ギャラルホルンを吹くと共に神々が召喚される。こうして秩序の神族と混沌の巨人族の最終戦争ラグナロクが起こり、神々はその宿命としてこの戦争に敗北する。

ブルフィンチは神話学者でも宗教学者でもなく、彼の時代にはそもそも「神話学」という学問そのものが未だ存在しなかった。神話の解釈や研究において大きな刺激となったのは、19世紀にあっては、印欧語の比較研究より生まれた比較言語学である。ドイツ生まれで、後半生をイギリスに生き研究を行ったマックス・ミューラーは比較神話学という形の神話解釈理論を提唱した。比較言語学の背景にある思想は当時西欧を席巻していた進化論と進歩主義的歴史観である。ミューラーは、ギリシア神話をインド神話などと比較した上で、これらの神話の意味は、最終的には太陽をめぐる自然現象の擬人化であるとする、ある意味素朴な神話論を主張した[113]。ジェームズ・フレイザーはミューラーと同じく自然神話学を唱えたが、彼は浩瀚な『金枝篇』において王の死と再生の神話を研究し、神話は天上の自然現象の解釈ではなく、地上の現象と社会制度のありようの反映であるとした。また神話は呪術的儀礼を説明するために生み出されたとも主張した。ミューラーの解釈では、ゼウスは太陽の象徴で神々の物語も、太陽を中心とする自然現象の擬人的解釈であるということになる。他方、フレイザーでは、「死して蘇る神」の意味解明が中心主題となる。エレウシースの秘儀がこのような神話であり、ディオニューソスもまた死して後、ザグレウスとして復活する。彼らの主張は多様な神話の比較、比較神話学の手法で、何が神話における神髄的な要素であるのかを抽出する作業の所産とも言える。一方、20世紀にあっては、神話研究のための新しい学説あるいは思想が出現した。一つはジークムント・フロイトが代表者とも言える無意識の発見と、そこより展開した深層心理学の諸理論である。いま一つは、ソーシュールの共時的言語学、すなわち構造主義言語学である。19世紀の比較神話学派と20世紀の構造的な神話解釈派のあいだに立つのがジョルジュ・デュメジルとも言え、デュメジルは後期には「三機能論」を唱えた[114]。

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