シュメールとアステカ

古代におけるもっとも体系的なギリシア神話の記述は、紀元1世紀頃と考えられるアポロドーロスの筆になる『ビブリオテーケ(3巻16章+摘要7章)』である。この体系的系統本は、紀元前5世紀以前の古典ギリシアの筆者の文献等を元にギリシア神話が纏められており、オウィディウスなどに見られる、ヘレニズム化した甘美な趣もある神話とは、まったく異質で荒々しく古雅な神話系譜を記述していることが特徴である[13]。"古代ギリシアには文字がなかった訳ではない。ミュケーナイ時代にすでに線文字Bが存在していた。暗黒時代にあってこの文字の記憶は失われた。しかし紀元前8世紀頃より、フェニキア文字を元に古代ギリシア文字が展開し生まれる[14] [15]。ギリシア神話はこの文字で記録された。また後にはローマの詩人・文学者がラテン語によってギリシア神話を記述した。"ギリシア神話のありようを知るには、近代になって発達した考古学が大きな威力を発揮した。考古学では古代の遺跡が発掘され研究された。

比較神話研究からは、異なる神話(体系)に共通する神話類型やモチーフ(神話素)が明らかにされ、これらは民族学的な関係の有無や心理的基盤に関して議論されている。現代科学の描像における宇宙・生命の起源については、それぞれビッグバン・生命の起源などを参照のこと。"一般的に、「創造神話」(origin belief) といった場合、「『至高の存在』(例えば神)が、慎重に考えて『宇宙を創造した』」というような宗教的神話である「創世神話」(creation myth) と同一視される。しかしながら、「創造神話」は非宗教的主張や現代科学、哲学に基づく理論を含むように一般化されるであろう。また創造と言う場合、世界・宇宙に限らず人間などの創造も含む事にも留意する必要がある。"

"ニュージーランドのノースアイランド、東海岸のマオリ族のンガーティ・ポロウ(Ngāti Porou)の伝説によれば、ルアタプ(Ruatapu)は、父のウエヌク(Uenuku)が若い異母兄弟カフティア・テ・ランギ(Kahutia-te-rangi)を自分の前に上げたことに怒った。ルアタプはカフティア・テ・ランギと大勢の高貴な若い男たちを自分の船に誘い出し、彼らを海に放り出して溺れさせた。 彼は神々に敵を攻撃するよう求め、初夏の大波になって戻ってこいと脅した。 カフティア・テ・ランギは必死でもがいて、南のザトウクジラ(マオリ語でpaikea)に自分を海岸へ運んでくれるよう祈願する呪文を唱えた。 それから、彼は名をパイケア(Paikea)と変えたが、生き残ったのは彼一人だった。(Reed 1997:83-85).""マオリのタファキ(Tawhaki)神話のいくつかは、主人公が洪水を起こして、嫉妬深い二人の義兄弟の村を破壊するというエピソードを有する。 グレイの『ポリネシアの神話』の中の記述が、マオリが以前には有しなかった何かを彼らに与えたのかもしれない=A.W Reed がそうしたように。 「ポリネシアの神話のグレイの言によれば、タファキの先祖が天の洪水を放ったとき、地球は圧倒されてすべての人類が死んだ - このようにグレイ自身の有する全世界的な洪水伝説をマオリに伝えた」(Reed 1963:165 脚注)。 キリスト教の影響は、タファキの祖父ヘマがセム(聖書の大洪水に出てくるノアの息子)として解釈しなおされた系図に現れている。""ハワイでは、ヌウ(Nu'u)とリリ・ノエ(Lili-noe)という人間の夫婦が、大島のマウナ・ケアの頂上で洪水を生き延びる。 ヌウは月に供物をささげたが、彼は自分の安全を感謝する相手を間違えたのである。 創造主のカーネ・ミロハイ(Kāne Milohai)は、地球に虹をかけ、ヌウの間違いを指摘し、その供物を受け取った。[7]"

この伝説は、現在のメキシコの国旗やメキシコの国章に描かれている。伝説によれば、テスココ湖に到着したアステカ人たちは他の人々、特に古代トルテカ族から文明を学ぶことを決めた。アステカ人にとって、トルテカ族は全ての文明の発信者であり、「Toltecayotl」という単語は「文明」と同義であった。アステカ神話は、トルテカ族と伝説的な都市トラン(Tollan)におけるケツァルコアトル神への信仰(それらはさらに古い都市テオティワカン(Teotihuacan)に由来する)によって識別することが出来る。

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