民話・昔話とインドネシア

カナ表記は統一されていないが、カタカナを用いる場合、萱野茂は「ユカラ」とした方がより忠実としている。またローマ字表記は知里真志保の表記法による。"日本における近代アイヌ研究の創始者とも言える金田一京助の分類によると、『ユーカラ』は、『人間のユーカラ』(英雄叙事詩)と『カムイユーカラ』(神謡)の二種類に分けられる。 人間(=アイヌ)を中心として語られる『ユーカラ』は、主にポンヤウンペと呼ばれる少年が活躍する冒険譚である。"『カムイユーカラ』はカムイが一人称で語る形式をとっており、サケヘと呼ばれる繰り返し語が特徴で、アイヌの世界観を反映した、神々の世界の物語である。中には、神・自然と人間の関係についての教えが含まれている。

古代よりギリシア人は「人は土より生まれた」との考えを持っていた。超越的な神が人間の族を創造したのではなく、自然発生的に人間は往古より大地に生きていたとの考えがあった。しかしこの事実は、人間が生まれにおいて神々に劣るという意味ではなく、オリュンポスの神々も、それ以前の支配者であったティーターンも、元々はすべて「大地(ガイア)の子」である。人間はガイアを母とする、神々の兄弟でもあるのである。異なるところは、神々は不死にして人間に比べ卓越した力を持つ。神々は貴族であり、人間は庶民だと言える[63]。しかしヘーシオドスは、土より生まれた人という素朴な信念とは異なる、人間と神々のあいだの関係とそれぞれの分(モイラ)の物語を語る。太古にあって人間は未開で無知で、飢えに苦しみ、寒さに悩まされていた。プロメーテウスが人間の状態を改善するために、ゼウスが与えるのを禁じた火を人間に教えた。また、この神は、ゼウスや神々に犠牲を捧げるとき、何を神々に献げるかをゼウスみずからに選択させ、その巧妙な偽装でゼウスを欺した[64]。プロメーテウスに欺されたゼウスは報復の機会を狙った。ゼウスはオリュンポスの神々と相談し、一人の美貌の女性を作り出し、様々な贈り物で女性を飾り、パンドーラー(すべての贈り物の女)と名付けたこの女を、プロメーテウスの弟の思慮に欠けたエピメーテウスに送った。ゼウスからの贈り物には注意せよとかねてから忠告されていたエピメーテウスであるが、彼はパンドーラーの美しさに兄の忠告を忘れ、妻として迎える。ここで男性の種族は土から生まれた者として往古から存在したが、女性の種族は神々、ゼウスの策略で人間を誑かし、不幸にするために創造されたとする神話が語られていることになる。

アポローンは数々の恋愛譚で知られるが、彼の子とされる英雄は、まずムーサ・ウーラニアーとのあいだにもうけた名高いオルペウスがある(別説では、ムーサ・カリオペーとオイアグロスの子)。ラピテース族の王の娘コローニスより、死者をも生き返らせた名医にして医神アスクレーピオスをもうけた。予言者テイレシアースの娘マントーとのあいだに、これも予言者モプソスをもうける。ミーノースの娘アカカリスはアポローンとヘルメース両神の恋人であったが、アポローンとのあいだにナクソス島の名祖ナクソス、都市の名祖ミーレートス等を生んだ。ヘルメースとのあいだには、クレータ島のキュドーニスの創建者キュドーンをもうけた。他方、ポセイドーンは、アテーナイ王アイゲウスの妃アイトラーとのあいだにテーセウスをもうけたとされる。またエウリュアレーとのあいだにオーリーオーンをもうけた(別説では、彼はガイアの息子ともされる)。テューローとのあいだに双生の兄弟ネーレウスとペリアースをもうけた。エパボスの娘でニュンペーのリビュエー(リビュアー)と交わり、双生児テュロス王アゲーノールとエジプト王ペーロスをもうける。ラーリッサを通じて、ペラスゴス(ペラスゴイ人の祖とは別人)、アカイオス、プティーオスをもうけた。アカイオスはアカイア人の祖とされ、プティーオスはプティーアの名祖とされる。オルコメノスのミニュアース人の名祖とされるミニュアースもポセイドーンの子とされるが、孫との説もある。ヘーラーの息子のヘーパイストスは、アテーナイの神話的な王エリクトニオスの父とされる。彼はアテーナーに欲情し女神を追って交わらんとしたが、女神が拒絶し、彼の精液はアテーナーの脚にまかれた。女神はこれを羊毛で拭き大地に捨てたところ、そこよりエリクトニオスが生まれたとされる[75]。

"クムリポとは「起源」を意味するハワイ語で、18世紀の初頭にロノイカマカヒキ王子(カメハメハ大王の祖父の代に相当)の誕生を祝って編纂されたとされる[1]。日本における古事記にも相当する壮大な叙事詩で、宇宙の起源から歴代の王の業績に至るまでが16パート2102行にわたる散文で語り継がれている[1]。 文字を持たなかったハワイでは全て口承によって秘密裡に伝えられてきたが、ハワイ王国第7代カラカウア王が崩御前年の1889年に公表し、妹のリリウオカラニ女王が退位後の1897年に英訳することにより、世界的に有名となった[1]。""1820年にハワイ語をアルファベットで置換する試みが取られて以降、それまでフラとメレによる口承で伝えられていたクムリポを記録する動きが見られ始めた。イギリスの語学研究者ウィリアム・エリスは1823年にハワイ諸島各地で聞き取った神話を記録に残しており、Narrative of a tour through Hawaii in 1823を出版している。これは、英語による神話の概略紹介という形を取りながらも、文字として残されている記録では最も古いものだと考えられている。"この神話はメソアメリカ人によって約三千年以上前から9世紀にかけて信仰されてきた。他の神話の例に漏れず、世界の誕生、神々が人間を創造する話などが伝わっている。この神話には方角、色、数字、星、カレンダー、食物の収穫等についての重要性が示されている。大半はスペインによる征服の歴史の中で消失したため、現在明らかにされているマヤ神話は断片的である。生け贄の人間から心臓をえぐり出し、祭壇に供え、後に神官が生け贄から剥ぎ取った皮を着用して舞踏する儀式が有名。

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