始まりとバビロニア神話
しかし、イブン・ファドラーンの記述は実際には埋葬の儀式である。現在理解されている北欧神話では、奴隷の少女には「生贄」という隠された目的があったのではという理解がなされた。北欧神話において、死体焼却用の薪の上に置かれた男性の遺体に女性が加わって共に焼かれれば、来世でその男性の妻になれるであろうという考え方があったとも信じられている。奴隷の少女にとって、たとえ来世であっても君主の妻になるということは、明らかな地位の上昇であった。ヘイムスクリングラでは、スウェーデンの王アウンが登場する。彼は息子エーギルを殺すことを家来に止められるまで、自分の寿命を延ばすために自分の9人の息子を生贄に捧げたと言われる人物である。ブレーメンのアダムによれば、スウェーデン王はウプサラの神殿でユールの期間中、9年毎に男性の奴隷を生贄としてささげていた。当時スウェーデン人達は国王を選ぶだけでなく王の位から退けさせる権利をも持っていたために、飢饉の年の後に会議を開いて王がこの飢饉の原因であると結論付け、ドーマルディ王とオーロフ・トラタリャ王の両者が生贄にされたと言われている。知識を得るためユグドラシルの樹で首を吊ったという逸話からか、オーディンは首吊りによる死と結びつけて考えられていた。こうしてオーディンさながら首吊りで神に捧げられたと思われる古代の犠牲者は窒息死した後に遺棄されたが、ユトランド半島のボグでは酸性の水と堆積物により完全な状態で保存された。近代になって見つかったこれらの遺体が人間が生贄とされた事実の考古学的な裏付けとなっており、この一例がトーロン人である。しかし、これらの絞首が行なわれた理由を明確に説明した記録は存在しない。
"オギュゲス王の洪水は、テーバイの創設者であり王であるオギュゲスの在任中に起きたことから名づけられる。世界中を襲った洪水は非常に破壊的だったので、ケクロプスの支配までは国は王のないまま取り残された。 [2]"アポロドーロスの「ビブリオテーケー」でデウカリオンの洪水として語られる物語には、いくつかノアの洪水伝説に共通する点がある。プロメテウスは息子のデウカリオンに櫃を作るよう助言する。他の人間は、高い山に逃げた少数を除いてすべて滅ぼされる。テッサリアの山は砕け、コリントス地峡とペロポネソスより向こうの世界はすべて沈む。デウカリオンと妻のピュラは、9つの昼と夜を櫃で漂い、パルナッソス山にたどり着く。"ヘラニコスが語るさらに古い物語では、デウカリオンの「方舟」はテッサリアのオトリュス山にたどり着く。別の記述では彼は Argolis、のちのネメアのおそらく Phouka の頂上にたどり着く。雨が止んだとき、彼はゼウスに供物をささげる。それからゼウスの言いつけに従って石を自分の後ろに投げると、石から男が誕生し、ピュラが投げた石からは女が誕生した。アポロドーロスはここから、ギリシャ語の laos(人々)の語源は laas(石)にあるのだとしている。"
また、少数派ではあるものの、キリシタンや幕末の新興宗教の教説にも日本独自の神話がみられる。以上を踏まえた上で、この記事においては『古事記』、『日本書紀』などにより語られる「高天原神話」(記紀神話)に絞り、日本神話として解説を加えていくことにする。現在は、風土、風俗などの民俗学、考古学にもとづく研究などがおもにされている。また、日本神話の原形となったと思われる逸話や、日本神話と類似点を持つ神話はギリシャ神話など世界中に多数存在する。日本における古墳期-奈良期にかけての国の勢力関係をも知る上での参考資料ともなっている。
カナ表記は統一されていないが、カタカナを用いる場合、萱野茂は「ユカラ」とした方がより忠実としている。またローマ字表記は知里真志保の表記法による。"日本における近代アイヌ研究の創始者とも言える金田一京助の分類によると、『ユーカラ』は、『人間のユーカラ』(英雄叙事詩)と『カムイユーカラ』(神謡)の二種類に分けられる。 人間(=アイヌ)を中心として語られる『ユーカラ』は、主にポンヤウンペと呼ばれる少年が活躍する冒険譚である。"『カムイユーカラ』はカムイが一人称で語る形式をとっており、サケヘと呼ばれる繰り返し語が特徴で、アイヌの世界観を反映した、神々の世界の物語である。中には、神・自然と人間の関係についての教えが含まれている。