ミックマックと創造神話の一覧

トロイア戦争の英雄であり、平穏な長寿よりも、早世であっても、戦士としての勲の栄光を選んだアキレウスは、ペーレウスと海の女神テティスのあいだの息子である。ヘーラクレースとその数々の武勇譚は、ピエール・グリマルによれば、ミュケーナイ時代に原形的な起源を持つものであり、考古学的にも裏付けがあり、またその活動は全ギリシア中に足跡を残しているとする[76]。ヘーラクレースは神と同じ扱いを受け、彼を祭祀する神殿あるいは祭礼は全ギリシア中に存在した。古代ギリシアの名家は、争ってその祖先をヘーラクレースに求め、彼らはみずから「ヘーラクレイダイ(ヘーラクレースの後裔)」と僭称した[77]。アキレウスもまた、アガメムノーンなどと同様に、いまは忘却の彼方に沈んだその原像がミュケーナイ時代に存在したと考えられるが、彼は「神々の愛した者は若くして死ぬ」とのエピグラムの通り、神々に愛された半神として、栄誉のなか、人間としてのモイラ(定業)にあって、英雄としての生涯を終えた。彼の勲と栄光はその死後にあって光彩を放ち人の心を打つのである。

"日本における近代アイヌ研究の創始者とも言える金田一京助の分類によると、『ユーカラ』は、『人間のユーカラ』(英雄叙事詩)と『カムイユーカラ』(神謡)の二種類に分けられる。 人間(=アイヌ)を中心として語られる『ユーカラ』は、主にポンヤウンペと呼ばれる少年が活躍する冒険譚である。"『カムイユーカラ』はカムイが一人称で語る形式をとっており、サケヘと呼ばれる繰り返し語が特徴で、アイヌの世界観を反映した、神々の世界の物語である。中には、神・自然と人間の関係についての教えが含まれている。散文の物語はアイヌ語ではウエペケレという。

日本でのクトゥルフ神話の始まりは、少なくとも1956年において、早川書房『幻想と怪奇2』に「ダンウィッチの怪」の収録が確認されている[8]。ラヴクラフトやクトゥルフ神話が広く知れ渡ったのは、1972年のSFマガジン9月臨時増刊号で、クトゥルフ神話が初めて特集されたこと[8]。翌1972年の幻想と怪奇第4号で「ラヴクラフト=CTHULFU神話」と題され特集された[8]ことから1970年代頃から注目されていると推定できる。初めは翻訳作品だけだったが、1980年代には日本の小説家によるクトゥルフ神話作品が書かれるようになる。紹介された時期がアメリカで作品の書かれた頃よりずっと後だったせいか、ダーレスによるクトゥルフ神話よりはラヴクラフト作品に近づける傾向が強い。中には、栗本薫の『魔界水滸伝』のようにラヴクラフトからも離れた独自解釈を行った作品も見られる。"ラヴクラフト自身は旧支配者の名をまったく挙げていない。したがってラヴクラフトの作品のみに準拠する限り、ヨグ=ソトースやハスターやナイアーラトテップが旧支配者であるという証拠は存在しない。これらの神性をまとめて旧支配者と呼んだのはダーレスである(アザトース、ヨグ=ソトース、シュブ・ニグラス、アブホース、ナイアラートテップなどは「外なる神」として旧支配者より別格で上位に位置する存在という扱いをされることも多い)。そもそも、英語でのGreat Old Onesを旧支配者と訳したのは、ダーレスの設定(これらの神性が、かつて宇宙を支配していたが失権した)を踏まえたものであり、名訳ではあるが、正確な訳とは言いにくい。"

女神ブリギッド(Brigid)、ダグザ(Dagda)の娘、Tailtiuやマッハ(Macha)のような自然神、馬の女神エポナ(Epona)、男神を含み鍛冶の神で不滅のビール醸造者のゴヴニュ(Goibniu)。"ミレシア一族がダーナ神族を破り、アイルランドを制覇した後の物語である。英雄クー・フーリン(Cu Chulainn)の物語が主。他に、災いをもたらす女デアドラの物語など。""アルスター伝説から3世紀ほど後のもので、フィン・マックール(Fin mac cumhail)から三代続く、フィアナ騎士団の物語群である。フィン・マックールとは、クールの息子フィンという意味で、フィンには美しい、の意がある[3]。"

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