日本語とアジア
ティーターンはこれ以外にも、子孫が多数存在した。後にティーターンはオリュンポス神族に敗れ、タルタロスに落とされるが、全員が罰を受けた訳ではない。広義のティーターンの一族には、イーアペトスの子であるアトラース、プロメーテウス、エピメーテウスや、ヒュペリーオーンの子であるエーオース(暁)、セレーネー(月)、ヘーリオス(太陽)などがいた[37]。神々の王クロノスはしかし、母ガイアと父ウーラノスから呪いの予言を受ける。クロノス自身も、やがて王権をその息子に簒奪されるだろうというもので、クロノスはこれを懼れて、レアーとのあいだに生まれてくる子供をすべて飲み込む。レアーはこれに怒り、末子ゼウスを身籠もったとき、密かにゼウスを出産し、石を襁褓にくるんでこれをクロノスに渡した[38]。ゼウスが成年に達すると、彼は父親クロノスに叛旗を翻し、まずクロノスに薬を飲ませ、彼が飲み込んでいたゼウスの姉や兄たちを吐き出させた。クロノスは、ヘスティアー、デーメーテール、ヘーラーの三女神、そして次にプルートーン(ハーデース)とポセイドーン、そしてゼウスの身代わりの石を飲み込んでいたので、順序を逆にしてこれらの石と神々を吐き出した。
カタカナ表記の統一されていないものが多い。括弧内は主な表記。旧神はダーレスの創作したものであり、本来はどれが旧神と言えるものではない。しかしながら、Nodens(大いなる深淵の主ノーデンス)が旧神のひとつであるとされることが多い。詳しくは地球本来の神々を参照。
ギリシア神話の英雄あるいは出来事を映画化した作品は欧米において非常に多数に昇る。トロイア戦争を主題にした映画作品は数多く制作されており、ヘーラクレースを主人公とする作品もまた多くある。アルゴナウタイ、テーセウス(主にクレータの迷宮を舞台として)の物語、テーバイ攻めの七将などの話が映画化されている。ギリシア悲劇も映画となっているものが多い。日本においては、ギリシア神話は、アポロドーロスの『ギリシア神話』のまえがきで訳者の高津春繁が記しているように、オウィディウスの『変身物語』から取られた話が主に紹介されて来た[132]。欧米では、ラテン語を文化系の学生が学ぶことは珍しいことではなく、法学などでは必修である場合もあり、古典ギリシア語やコイネーについても、キリスト教『新約聖書』がこの言語で記されているため、学ぶ人の数が圧倒的に多い。その結果、西洋古典文学を教養として知っている人の数は日本とは比較にならないと言える。欧米の場合では、子供向け、あるいは若い人向けにギリシア神話物語が書き下ろされている場合が多々あるが、それはやはり、オウィディウスの本のようにヘレニズム的な甘美さと優しさのある物語が多い。日本でも状況は似ているが、異なるところは、成人向けのギリシア神話の書籍であっても、なおさほどに重要でもない「変身」の物語や恋愛譚が多いということがある。
日本でのクトゥルフ神話の始まりは、少なくとも1956年において、早川書房『幻想と怪奇2』に「ダンウィッチの怪」の収録が確認されている[8]。ラヴクラフトやクトゥルフ神話が広く知れ渡ったのは、1972年のSFマガジン9月臨時増刊号で、クトゥルフ神話が初めて特集されたこと[8]。翌1972年の幻想と怪奇第4号で「ラヴクラフト=CTHULFU神話」と題され特集された[8]ことから1970年代頃から注目されていると推定できる。初めは翻訳作品だけだったが、1980年代には日本の小説家によるクトゥルフ神話作品が書かれるようになる。紹介された時期がアメリカで作品の書かれた頃よりずっと後だったせいか、ダーレスによるクトゥルフ神話よりはラヴクラフト作品に近づける傾向が強い。中には、栗本薫の『魔界水滸伝』のようにラヴクラフトからも離れた独自解釈を行った作品も見られる。"ラヴクラフト自身は旧支配者の名をまったく挙げていない。したがってラヴクラフトの作品のみに準拠する限り、ヨグ=ソトースやハスターやナイアーラトテップが旧支配者であるという証拠は存在しない。これらの神性をまとめて旧支配者と呼んだのはダーレスである(アザトース、ヨグ=ソトース、シュブ・ニグラス、アブホース、ナイアラートテップなどは「外なる神」として旧支配者より別格で上位に位置する存在という扱いをされることも多い)。そもそも、英語でのGreat Old Onesを旧支配者と訳したのは、ダーレスの設定(これらの神性が、かつて宇宙を支配していたが失権した)を踏まえたものであり、名訳ではあるが、正確な訳とは言いにくい。"